さらば青春の光の森田哲矢さんといえば、芸人だけでなく個人事務所「ザ・森東」の社長としても知られています。
テレビ番組のMC、YouTube、ライブ、会社経営と幅広く活動していますが、若い頃から順風満帆だったわけではありません。
実は森田さんは高校を留年。
卒業後もしばらく定職に就かず、パチンコなどで約200万円の借金を抱えていた時期がありました。
そこから借金を返し、残った20万円を使って松竹芸能の養成所へ。
現在につながる芸人人生をスタートさせています。
森田哲矢は高校を留年していた
森田さんは自身の過去について、テレビやインタビューでかなり率直に語っています。
高校では留年を経験し、19歳で卒業。
その後約5年間はフリーターとして生活していたといいます。
病院の売店やカラオケ店、漫画喫茶など、さまざまなアルバイトを経験。
病院の売店では1日で辞めることになったエピソードも明かしています。
現在の「会社社長・売れっ子芸人」という姿からは想像しにくい経歴です。
パチンコで借金200万円
フリーター時代の森田さんはパチンコにのめり込み、借金が膨らんでいきました。
最終的には消費者金融からの借金が約200万円になったといいます。
森田さん自身、当時をかなり自堕落な生活だったと振り返っています。
しかし、その生活をずっと続けるわけにもいきません。
アルバイトを掛け持ちしながら借金返済を進め、最終的に約200万円を完済しました。
借金返済後に残った20万円が人生を変える
借金を返し終えた森田さんの手元には、約20万円が残りました。
偶然にも、当時の松竹芸能の養成所へ入るために必要だった費用が約20万円。
森田さんはそのお金を使い、25歳で松竹芸能の養成所へ入ります。
なぜ芸人だったのでしょうか。
森田さんは以前からお笑いが好きだった一方、
自分でも大金を稼げる可能性がある仕事を考えた結果、芸人だった
という現実的な理由も明かしています。
現在の会社経営にも通じる、かなり森田さんらしい考え方です。
2008年に東ブクロと「さらば青春の光」を結成
養成所を経て、森田さんは2008年に東ブクロさんと「さらば青春の光」を結成します。
コンビは徐々に賞レースで結果を出し、2012年には『キングオブコント』準優勝。
一気に注目される存在となりました。
ところが、その翌年に松竹芸能から独立します。
本人たちは後に、当時は事務所からの金銭面での評価などに納得できず退所したものの、今振り返れば「若気の至り」だったと語っています。
独立後にさらなる苦境
大手事務所を辞めたからといって、すぐに成功したわけではありません。
他の事務所へ入ることもできず、自分たちで活動することになります。
さらに独立直後には東ブクロさんの不倫騒動も発覚。
コンビはかなり厳しい状況に置かれました。
それでも解散せず、2013年には個人事務所「ザ・森東」を設立。
森田さんが社長となりました。
借金200万円から年商4.7億円の会社社長へ
ここからが森田さんの経歴の面白いところです。
高校留年。
フリーター。
パチンコ。
借金約200万円。
借金を返して残った20万円で養成所。
そして芸人になり、大手事務所を辞め、自分で会社を設立。
その「ザ・森東」は2022年に年商3億7000万円、2023年には売上4億7000万円まで成長しました。
もちろんこれは森田さん1人の年収ではなく、会社全体の売上です。
それでも、約200万円の借金を返していたフリーター時代から考えると、大きく人生が変わっています。
森田哲矢が成功した理由は?
森田さんの経歴を見ると、
「一発逆転で突然売れた」
というより、
何度も危ない時期を乗り越えながら、収入源を増やしてきた
と考えた方が近そうです。
テレビだけではなく、YouTube、ライブ、グッズ、自社での企業案件などへ展開。
森田さん自身も、ネットが大きな収入の軸になっていることを話しています。
芸人としてテレビに出るだけではなく、
「さらば青春の光」という名前そのものを事業化した
ことが、ザ・森東の大きな特徴でしょう。
まとめ
森田哲矢さんは、高校卒業後すぐに芸人になったわけではありません。
高校を留年し、その後はフリーター生活。
パチンコなどで約200万円の借金を抱え、それを返済した後に残った20万円を使って松竹芸能の養成所へ入りました。
そこからさらば青春の光を結成し、賞レースで注目され、松竹芸能から独立。
個人事務所「ザ・森東」の社長となりました。
現在の姿だけを見ると「売れっ子芸人兼社長」ですが、そのスタート地点は約200万円の借金を抱えたフリーター時代。
森田さんの経歴を知ると、さらば青春の光が現在の独特な活動スタイルになった理由も少し見えてきます。